【自炊体験記】雑誌を自炊するのはまだ早い

iPadScanSnapを入手したので、自炊はじめました。(以前にも多少大学の設備を使って練習はしました)

FUJITSU ScanSnap S1500M FI-S1500M (Macモデル)

FUJITSU ScanSnap S1500M FI-S1500M (Macモデル)


まず、手始めに雑誌から。裁断はカッターで行ないました。雑誌ぐらいなら裁断機を使わずともカッターでいけます。むしろ背表紙のない雑誌は裁断機ではうまく裁断できません。


スキャン中はしばしば重送(1度に複数枚の原稿を読み取り部分に送ること)や原稿ジャムが発生しました。Numberのようにツルツルしてて薄い紙の場合は重送が発生しやすいらしいです。対策としては、一度にセットする原稿の枚数を減らすこと。そしてくっついてる紙をなるべくはがす(間に空気を入れるイメージ)ですかね。あたりまえですが。


慣れれば雑誌1冊につきトラブルは0〜2回ぐらいになります。トラブルが起こってもほぼ確実にScanSnapが検知してくれるので、スムーズに作業を行うことができます。(ちょっと古い型だと重送を検知してくれません)


読み取りモード(画質)はファインがおすすめです。スーパーファインにしたらファイルサイズが200Mを超えてしまって、iPadで読む際にビューア(i文庫HD)が落ちてしまいました。


あと、めんどくさかったのがビューアの設定。今回スキャンした雑誌は右綴じだったので、そのまま読むと見開きの左右が逆になってしまいます。加えて、表紙は1枚しかないので1ページずつずれてしまい、見開きが再現できません。

この問題はi文庫HDで解決できました!(他のビューアではたぶん解決できない)


【参考情報】

本棚に登録する際、詳細設定で”先頭項は見開き”をオンにして”右開き”にチェックしてから登録すると良いです。

iPadで自炊した電子書籍を読む初期ステップメモ - 真・業魔殿書庫


しかし、この設定をしても途中でiPadの向きを変えたりすると元に戻ってしまいます。うーん、いまいち使い勝手がよくない。


そして一番大きな問題は、ScanSnapを使っていると雑誌の色がきれいに再現できないということと、雑誌を読むにはちょっとiPadの画面サイズが足りないということ。また、雑誌はパラパラ読むことが多いので、それができないのも物足りなく感じました。(ソフトウェアレベルでパラパラ読むインタフェースは実現できそうな気がしますが無理なんでしょうか)


というわけで、雑誌の自炊はまだ早いんじゃないでしょうか。もちろん、上に挙げたことを気にしないとか、どうせもう捨てるからとかならいいと思いますが。

Evernoteの罠

 ちょっと前からはてなブックマークTwitterEvernote関連の情報を多く見るようになって、最近では本屋でEvernote関連の書籍を多く見るようになりました。それだけユーザ数が増えているということなんでしょうが、いったいどれだけの人がEvernoteを使いこなせているのか疑問です。

Evernoteとは

 詳しくはEvernoteの公式サイトをご覧頂きたいのですが、要するに、いつでもどこでも全てを記録できて、あとで素早く検索できるサービスです。何でも記録できるという特徴から、第2の脳と呼ばれたりもします。

全てを記録できるという罠

 全てを記録できるということは、何をどの程度記録するかは完全にユーザ任せです。ユーザには高い自由度が与えられているのですが、それゆえに使いこなすのが困難です。


 私は、Evernoteを使い始めた当初、閲覧したWebページをかたっぱしからPDFでEvernoteに記録していきました。これで過去に見たWebページをすぐに思い出せる、必要なときに必要な情報を引っ張ってこれると思ったのです。また、閲覧したWebページはその時の自分の興味は反映しているので、ライフログとしても有効だろうと考えたのです。しかし、記録したWebページの数が増えれば増えるほど、第1の脳(私の脳)と第2の脳(Evernote)とのギャップが大きくなっていきました。Evernoteの中に記録されている情報が多すぎて私の頭が追いつかなくなったのです。


 うまく記録したWebページを整理できればよかったのかもしれません。しかし、記録の自由度だけでなく分類の自由度も高くてうまくいきませんでした。また、整理はあきらめて検索に頼ればよかったのかもしれません。しかし、検索対象が多くなると当然ノイズが増えます。加えて、何が記録されているかをある程度把握していなければ、検索すべきかどうかの判断ができません。


 それになにより、Evernoteの動作が重くなったり、同期してるときに少し固まったりするようになりました。

ノートブックとタグという罠

 さきほど分類の自由度が高いと書きましたが、Evernoteにはノートブックとタグという2種類の分類方法があります。Evernoteに記録した情報はノートという単位で管理されるのですが、各ノートは必ず1つのノートブックに属します。タグはSBMなどと同じで自由に何個でも付けることができます。


 ノートの分類にあたっては、まずノートブックとタグの使い分けをどうするかという問題があります。また、タグ付けの自由度が高すぎて、タグの数が増えすぎる、統制がとれないという問題もあります。これはノートの数が増えれば増えるほどより顕著になります。閲覧したWebページをかたっぱしから記録していた私のEvernoteは大変なことになりました(笑)

2つの罠をどう乗り越えたか

 これらの罠にはまった私は、友人知人からのアドバイスもあり、悟りました。


 Evernoteには全てを記録するべきではない、自分のフィルタを高いレベルで通したものだけを記録するべきだと


 例えば、Webページの例だと、ただ閲覧しただけのものではなく、しっかりと読み込んでそこから思考を発展させるもととなるようなページのみを記録すべきです。また、参加予定のイベント情報や今考えていることのメモなど、何度も振り返る情報を記録するのも有効です。他にも食事の写真、授業のノート、仕事の資料などもいいと思います。私は、これらの条件に合わないノートは思い切って削除しました。


 (分類についてはまだ試行錯誤中です。ただ、ノートの数が減っただけでかなり楽になりました)

ブログ奨学金はコンテンツプラットフォームを繁栄させる優れた施策


昨日、ライブドアから「ブログ奨学金」なるものが発表されました。


ブロガーに最大300万円の援助 ライブドア「奨学金」でアルファブロガー育成 - ITmedia News


なんと、ブログを書くという行為に対して、最大で年間300万円の援助を受けることができます! 当然ブログの書き手にとってうれしいこの施策ですが、これはライブドア側からみてもかなり優れた施策であるといえます。なぜならば、ブログサービスをコンテンツプラットフォームとして捉えた場合(コンテンツ=ブログ記事)、ブログ奨学金は優秀なコンテンツ提供者を囲い込む効果が期待できるからです。


以前このブログでも書いたように、プラットフォームにおいてはコンテンツ提供者の量と質が重要です。iTunes Store があれだけ繁栄したのは、コンテンツ提供者の量と質が優れていたからだといえます。コンテンツがなければユーザは何も得ることができませんから。


すでにブログ奨学金と似たようなことをやっているのが、nanapiの投稿コンテストです。優秀な記事を書いた人には、最大で1万円分のAmazonギフト券が贈呈されます。一番最初に行われたコンテストでは、けんすうさんの記事にあるように、多数の良質な記事が集まりました。


ブログ奨学金はnanapiの投稿コンテストよりもかなり大きい額を出すので、より大きな効果が期待できるのではないでしょうか。

Twitterを場のデザインに活かす試み

pingpongプロジェクトというのがあります。どういうものかというと、ある場において人々が気づいたことや行為を収集し、それらを分析・構造化して場のデザインに活かそうというものです。


おもしろいのは、人々が気づいたことや行為をTwitterを使って収集すること。これまで場のデザインというのは、デザイナーがトップダウンで行うことが多かったのではないでしょうか。そのため、場の良さはデザイナーの力量に大きく左右されます。しかしTwitterを使えば、場の利用者の意見を簡単に吸い上げることができます。しかもデジタルなデータとして吸い上げることができるので、自然言語処理や情報可視化の技術を活かした分析を行うこともできます。


これはつまり、場のデザインを協調的に(あるいは民主的に)行う試みと言えるのではないでしょうか。(場の運営者が利用者の意見を活用することが前提ですが)


pingpongプロジェクトでは、専用のアプリを使って、位置を指定してツイートを行うようです。しかし、もし普通にツイートするだけで正確な位置情報が付くようになれば、ある場に関する情報がどんどんウェブ上にあがってきて、数多くの場のデザインに役立てることができます。ただ、場という狭い範囲ではワークショップのように半強制的にツイートしてもらわないと十分な量の情報が得られないかもしれません。ですが、街といったより広い範囲であれば十分可能でしょう。みんなが協調して街をよくする未来がすぐそこに来ています。


Twitterによってこれまでその人の中に閉じ込められていた情報、ウェブには無かった情報が、ウェブに上がってくるようになりました。それを会社経営に活かしているのがソフトバンク孫社長であり、場のデザインに活かしているのがpingpongプロジェクトなのです。Twitterはまだまだ多くの可能性を秘めている気がします。


参考

エコシステムをつくるために、プラットフォームに必要な3つの要素

エコシステムとは、大雑把に言うと、参加者の行動がうまく連鎖することで、システム全体の質が向上する、あるいは良い質が維持されるというものです。そして、プラットフォームとはエコシステムの土台となる部分です。ここでは、エコシステムをつくるために、プラットフォームに必要な3つの要素を iTunes StoreTwitter の2つを例に取り説明します。

多数の参加者が存在すること

ここでの参加者とは、

になります。


iTunes Store のような「コンテンツプラットフォーム」の場合は、レコード会社という「コンテンツプロバイダ」を多数集めることが最も重要になります。コンテンツがなければユーザは集まりません。それに対して Twitter のような「コミュニケーションプラットフォーム」(そう名付けていいのかは迷うところですが)はユーザのみから構成されているため、多数のユーザを集めることが重要となります。ここでどれだけ多くのユーザ、おもしろいユーザを集められるかが、次の「やりとりの蓄積」に効いてきます。

参加者間のやりとりがプラットフォームに蓄積されること

ここでのやりとりとは、

になります。


プラットフォームに多数の参加者がいれば、必然的に蓄積されるやりとりは多くなります。また、おもしろいユーザがいれば蓄積されるやりとりの質が高くなります。


ここでのやりとりは、いかに少ない労力できるか、あるいは自然な形でできるかが重要です。楽曲に対する評価やツイートのお気に入りはワンクリックでできますし、買い物(楽曲の購入)やコミュニケーション(リプライ)は日常的で自然な行いです。ここでどれだけのやりとりを蓄積できるかが、次の「フィードバック」に効いてきます。

蓄積されたやりとりが参加者にフィードバックされること

ここでのフィードバックとは、

  • iTunes Store の場合、トップチャートや「Genius おすすめ」(楽曲のレコメンド)あるいはiTunes自体のGenius(自動プレイリスト作成機能)
  • Twitter の場合、buzztterやtogetter

になります。これらはある種の集合知だといえます。


フィードバックは新たなやりとりを生み出すきっかけとなります。例えば「Genius おすすめ」でレコメンドされた楽曲を購入する。あるいは、togetterでまとめられた議論を読み、自分の意見をつぶやくといったことが考えられます。また、フィードバックの価値が高いものであればプラットフォームに新規参加する動機にもなります。


ここで注目すべきは、buzztterもtogetterもTwitterの公式サービスではないということです。APIさえ提供すれば、フィードバックの仕組みを提供するのはプラットフォームでなくてもよいのです。



以上、3つの要素がプラットフォームにあれば、そのプラットフォーム上での参加者のやりとりが量的にも質的にも十分なものとなり、エコシステムが形成されると考えられます。

「光の道」で地域格差は埋められてもデジタルデバイドとソーシャルデバイドは埋められない

「光の道」討論を聴く前も聴いた後もプラットフォームの方が重要だと考えていました。でもその考えを文章にしてるうちに考えが変わりました。(と言いつつさらに書き進めてるうちまたちょっと変わりました)


基本的にはプラットフォームが重要です。ただし、良いプラットフォームをつくるために「光の道」が必要。


理由を説明します。


教育・医療といった公的サービスのクラウド、プラットフォームをつくるためには、政府が主導しなければなりません。しかし、旧態依然とした政治家や役人にはそれができない。できない理由として最もよく使われそうなのが「格差」です。


地方の人達はサービスの恩恵を受けられない。不公平だ。そういうもっともらしい理由をつけて反論する人たちが大勢いるでしょう。そういう人達を黙らせるもっとも良い手段が、100%全国民に光回線を使えるようにする「光の道」構想なのです。したがって、孫さんの言うようにインフラを優先的にやるのは戦略的に正しいと思います。


しかし、格差は地域間だけではなく人の間にも存在するのです。それが討論にもあがっていたデジタルデバイドとソーシャルデバイドです。


例えば教育分野の場合、電子教科書を使うぐらいだったら、孫さんが言うように紙さえめくれる人なら大丈夫でしょう。しかし、iPadでできるのはそれだけではありません。Web上に存在するマルチメディアコンテンツやWebサービス(地理ならGoogleアースなど)を組み合わせて教材をつくる教師が出てくるかもしれません。また、ネットワークにつながるというiPadの特性を活かして、協調学習を行う教師も出てくるでしょう。そうしたときにデジタルデバイドとソーシャルデバイドの問題は、教育格差として重くのしかかってきます。


そういう格差を解決するためのビジョンが欲しいと思いました。孫さんには。きっと孫さんほどの熱意と情熱を持った人でなければ、日本という閉鎖的な国で多数のプレイヤーの協力が必要不可欠なプラットフォームを構築することはできないと思うので。

iPadが生み出すユーザー体験の共有

まだ日本では未発売のiPadですが、運良く一足先にさわることができました。


当然注目度が高いので、僕以外にも複数人がiPadに群がってました。そのときはただただiPadだけに注目していたのですが、後から考えるとこの状態ってすごいことだなあと。


複数人(たぶん10人ぐらい)がiPadを囲んでいるのに、みんなが画面を見れる。1つの画面を共有できる。iPadの動作にみんなで「お〜!」と言うことができる。これはiPhoneのように小さい画面ではできない、iPadの画面サイズだからこそできることです。


これがいかにすごいことか。


例えばみなさん、ケータイで撮った写真を友人に見せたり、あるいは見せられたりした経験があるのではないでしょうか。ケータイの画面サイズでは1人か2人ぐらいの人数でしか一度に同じ写真を見ることができません。ところがiPadぐらいの画面サイズになると、10人で一度に同じ写真を見るという体験ができるのです。


一度に同じ画面を共有できる人数が多くなるということは、それだけコミュニケーションの可能性が広がるということです。今までは写真を見せるためにみんなにケータイを回さなければなりませんでした。そのため、その写真に対する感想はポツ、ポツ、ポツ、と間をおいて発せられます。ところが、iPadだと一度にみんなで見られるので、その写真の感想を同時に言いあって盛り上がることができるのです。


そんなのテレビやパソコンでいいじゃんと思われる方もいるかもしれません。ですがiPadはそれらに比べて持ち運びやすい。VAIO X のように持ち運びやすいパソコンを持っていたとしても、すぐに写真を見せることを考えれば起動時間や操作性の点でiPadの方が優れています。それに人前でノートPCを出すというのは一部の層を除いて自然なことではないでしょう。


他にも、iPadでゲームするときを考えてみましょう。例えば、ゲームセンターによくあるエアホッケーiPhoneの画面サイズでは1対1の対戦も難しそうですが、iPadの画面サイズなら2対2の対戦もなんとかいけそうです。


このように、iPadはその画面の大きさを活かして、1つの画面をみんなで共有できます。これにより、これまで1人1人個別にしか得られなかったユーザー体験を複数人で共有できるようになるのです。